2022年4月24日のフランス大統領選の第2回投票では、現職のマクロン候補が58.8%を獲得し、41.2%を獲得した「国民連合」のマリーヌ・ルペン候補に勝利した。
フランスの大統領選挙は国民による直接選挙で行われるが、第1回投票で過半数を獲得した候補者がいない場合は、上位2名が決選投票に進むこととなっている。2002年からの20年間の間に、いわゆる極右と言われる候補者が決選投票である第2回投票に進んだのは3回目のことである。
あまり報道されていないルペン氏の「プログラム」
1回目は2002年。ルペン候補の父親のジャン・マリ・ルペン氏と。当時の現職のシラク氏との決選投票となった。第1回投票でシラク氏が19.88%、次点がジャン・マリ・ルペン氏の16.8%であり、決選投票に進むと思われていた社会党のジョスパン氏は16.18%の得票率だった。
極右の候補者が決選投票まで進んだ衝撃は大きく、シラク氏支持者以外にもシラク氏への投票の大規模な呼びかけが行われ、第2回投票ではシラク氏が82.21%を獲得、ジャン・マリ・ルペン氏は17.79%の得票にとどまった。
2回目は2017年。第1回投票でマクロン氏が24.01%を、マリーヌ・ルペン氏が21.30%を獲得した。第2回投票ではマクロン氏が66.10%を獲得し、33.90%のルペン氏に勝利した。
今回の選挙では、フランスの多くのメディアはマクロン氏が敗れるシナリオすら想定した。幸いにもマクロン氏が勝利を収めたが、過去2回の選挙に比べて、ルペン氏の得票率が大きく伸びていることは事実で、このことは日本でも大きく報道された。
一方で、ルペン氏が何故「極右」と呼ばれるのか、どのような「プログラム」を持っているのかということはあまり報道されていない。ルペン氏は様々な主張を行っているが、その根底にあるのは現在の第五共和制憲法の改正である。本稿ではその内容を紹介したい。
フランス共和国における大統領の位置づけ
フランスは1848年の第二共和制以降(1848~1852年)、第三共和制(1870~1940年)、第四共和制(1946~1958年)、そして現在の第五共和制において常に大統領をおいてきた。しかし、現在の憲法にいたるまで、行政府に比べて立法府の力が強く、第三共和制及び第四共和制においては、フランス政体の脆弱性は分裂を繰り返す立法府に強い権限を認めてきたためと批判されてきた。
1958年の第四共和制の最後の首相であり、第五共和制の初代大統領となるド・ゴール将軍は、強い行政府の確立を望んだ。その結果、制定された第五共和制憲法においては、大統領権限が強化されるとともに、議会の権限が縮小された。
大統領は、公権力の適正な運営と国家の継続性を確保する「仲裁者arbitre」かつ国の独立、領土の一体性及び条約の尊重の「保障者」であり、扇の要にも例えられる。当初大統領は間接選挙により選ばれたが、ド・ゴール大統領による1962年の憲法改正により、直接選挙で選出されることになった。この憲法改正が今年の大統領選挙でも問題になったが、それについては後述する。任期は7年だったが、シラク大統領による憲法改正で5年とされ、サルコジ大統領の憲法改正で再選は1回までとなった。したがって、マクロン大統領の任期は今回限りである。
大統領は、首相及び国務大臣を任免し、閣議を主宰し、下院である国民議会の解散権を有するが、大統領自身は議会に対して責任を直接負うことはない。大統領は軍隊の長であり、条約について交渉し批准する権限を有する。そして、一定の事項について、国民投票を通じて立法をすることが可能となる。このように、フランスの大統領は極めて重要な権限を有している。
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