「入るを量りて出(い)ずるを為(な)す」は、国の予算を決める際の心得を示す故事成語だ。150年前の1873年、この言葉とは逆に放漫予算を求める政府内の声に抵抗し、大蔵省を辞めた官僚がいる。日本の資本主義の父、渋沢栄一だ▲同じ年、東京・上野に貧しい人や孤児を保護する施設「養育院」が完成し、渋沢は翌年から運営にかかわった。経済人としての成功は有名だが、近年、日本の福祉の礎を築いた役割が注目される▲「財産家の気休め」との批判もある。しかし、実際は信念に基づくものだったようだ。東京府議会で養育院廃止論が高まると、「なくしてはいけない社会装置」と自ら経営を引き受けた。演説では「文明が進んで富が増すほど貧富の差は深刻になる」と、富の分配を繰り返し訴えた▲後に全国社会福祉協議会となった組織や日本赤十字社の創設にも取り組み、社会全体の持続的な発展を重んじた。養育院長は、亡くなるまで半世紀にわたって務めた▲養育院は2000年に廃止となり改組されたが、現在も東京都健康長寿医療センターが歴史をつなぐ。鳥羽研二理事長は「今は高齢者医療に特化した組織として、渋沢が大切にした弱者の視点に立つサービスを心掛けている」と話す▲板橋区のセンター敷地には、渋沢の銅像が建つ。本人は固辞したそうだが、「養育院を離れないでほしいから」と説得されたという。その眼下に広がるのは、富の分配が進まず格差が広がる現代日本。渋沢はどんな気持ちで見ているのだろうか。
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