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Wednesday, December 1, 2021

日米SACO合意から25年 沖縄基地返還、道半ば - 産経ニュース

本CSACO最終報告で返還が合意された米軍施設
本CSACO最終報告で返還が合意された米軍施設

平成8年に日米両政府が沖縄の米軍基地11施設計5千ヘクタールの返還に合意した特別行動委員会(SACO、サコ)の最終報告から2日で25年がたった。この間に6施設計4400ヘクタール以上が返還されたが、目玉とされた米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還は実現しておらず、基地負担の軽減は道半ばだ。来年には、普天間飛行場の移設先である名護市の市長選や知事選が行われる。結果次第で、基地問題が大きく動くことになりそうだ。

首相の懸念

「作業は終わったが、仕事は終わっていない」

8年12月2日、SACOの最終報告を受け、橋本龍太郎首相(当時)が記者団に語った言葉だ。画期的な返還合意にもかかわらず、橋本氏は硬い表情を崩さなかった。

米軍基地の整理・縮小を協議するSACOが設置されたのは7年11月。その2カ月前に米兵による少女暴行事件があり、沖縄県内の反基地感情が頂点に達したことがきっかけだった。

この問題の解決に、真正面から取り組んだのが橋本氏だった。8年1月に首相になると、普天間飛行場の返還交渉に自ら乗り出し、12月の最終報告で11施設の返還計画が示された。

だが、多くは「県内移設」が条件だったため革新勢力などが反発。橋本氏が危惧したように「仕事(返還合意の実現)」の道のりは険しかった。

残り1割

「合意から四半世紀。さまざまな困難はあったが、返還は着実に進んでいる」

防衛省幹部が話す。SACOで示された11施設のうち、これまでに北部訓練場の過半や安波訓練場など6施設が返還された。面積でみれば全体の約9割の合意が実現したことになる。

しかし合意の目玉であり、世界一危険といわれる普天間飛行場は、いまだに返還時期のめども立っていない。11年に名護市辺野古に移設することが閣議決定されたものの、21年に「最低でも県外移設」を掲げた民主党政権が発足して混乱し、辺野古反対の「オール沖縄」勢力が県政与党となった26年以降は国と県との対立が続く。

日米両政府は25年、新たな返還計画を示し、普天間飛行場は「2022(令和4)年度またはその後」とされた。政府は辺野古への移設工事に着手したが、軟弱地盤が見つかったため設計変更を余儀なくされるなど「仕事」は進んでいない。

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