内閣府沖縄総合事務局発注の首里城正殿復元工事の現場において、清水建設・國場組・大米建設JV(以下、当社JV)は本日午前、立柱式を執り行いました。立柱式は工事の安全成就と永遠堅固を記念する儀式で、1本目の柱を建て込む際に執り行うことが工事関係者の習わしになっています。この立柱式を経て、正殿の骨組となる柱・梁を組み立てる建方工事が本格化し、焼失した正殿が徐々に形を取り戻していきます。
ご案内の通り、2019年10月31日未明に首里城正殿が他8棟の主要施設とともに焼失したことを受け、政府は同年12月に「首里城復元に向けた基本的な方針」、20年3月に「首里城復元等の復元に向けた工程表」を決定。この工程表に基づき、22年4月に入札を公告、同年8月の入札を経て9月21日に当社JVと首里城正殿復元整備工事の請負契約を締結しました。当社JVは22年11月の着工後、国が建設した木材倉庫・加工場において桧等の支給材の加工ならびに、正殿復元整備工事の現場を雨・風から保護する素屋根(幅約41.5m、奥行き約33m、高さ約23m)の建設、正殿の基礎工事を進めてきました。
本日建て込まれた1本目の桧柱は、直径約40cm、長さ約720cm、重量約500kgの奈良県産の大径材で、正殿1階中央部の御差床と呼ばれる国王の玉座周りに位置するものです。今後、躯体工事が本格化し、12月までに柱・梁513本、約300m3から構成される正殿の躯体が組み上がります。躯体に用いられる桧材は奈良、和歌山、長野、三重、福井、など19都道府県から調達されたものです。また、沖縄県産として、オキナワウラジロガシが小屋丸太梁2本に用いられます。
正殿復元整備工事が最盛期を迎えるのは24年7月頃からで、約1年間に亘り日々、宮大工や朱塗りを行う塗装工をはじめ、瓦工、土居葺き工、石工などの匠80~90名が現場に入場します。工事の主役となる宮大工の会社は福井県に本社を置きますが、現場に常駐させる約30名の宮大工のうち、10名前後を沖縄県出身者とし、伝統木造建築の技術の伝承に努めます。
なお、復元整備工事は素屋根の中で進みますが、「見せる復興」に相応しく、首里城の有料区域への来場者は、素屋根の中に設けられる見学エリアから「今しか見られない」工事の様子を見学できます。当社JVは引き続き、内閣府沖縄総合事務局と連携の下、見せる復興並びに工事関連情報の発信に努めるとともに、無事故・無災害で2026年秋の完成を目指します。
首里城は、琉球の建築文化や技術の粋を結集した城郭で、琉球王国時代(1429~1879年)は王宮・王府として使用されていました。1925年に正殿が国宝に指定されましたが、1945年の沖縄戦で焼失。1992年に沖縄復帰記念事業のうち国営公園事業として正殿等が復元されましたが、再び2019年10月に正殿等9棟の建物が焼失しました。なお、1992年(平成)の復元も当社JVが担当しています。
「首里城再建への歩み」を当社公式YouTubeチャンネルから視聴できます。
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